あなたの知らない三国誌その四中国の歴史・文化

ポケットフジ / 2020-03-19 / Hit数:

歴史上の張飛はどんな人物

 



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提起三国的张飞,多数人的印象一般是个黑脸而勇猛,但暴躁而粗鲁的武将。然而张飞不仅不是一个粗人,而且还是一个伟岸俊朗的玉面小生。

 

三国誌の張飛と言えば、普通はたくましくて、黒い顔、勇猛でありながら、短気で乱暴、脳筋の人と知られているが、本当はそこまでひどくはなかった。まず張飛は整った顔立ちで、顔も玉のような白だった。

 

根据史书记载,张飞出生豪门是个士族子弟,而非书中所写是个杀猪的且很有文艺修养,写得一手草书,还擅长画美人。想想也是,要不然他的女儿怎么能够成为刘婵的皇后。

 

記載によると、張飛の家柄は肉屋ではなくて堂々の名門、士大夫にまで出世した。そして、芸術も嗜んでいて、草書にも美人画にも長けている。張飛が培った娘たちが後日劉禅の皇后となったのも偶然ではないだろう。

 

张飞有勇无谋吗?并不是,诲马一事就能表现出张飞的冷静和智慧。事情是这样的,由于其武勇任他平西将到刘备对待自己,就疏忽了上的礼,常直呼刘

 

張飛が誇れるのは武勇だけでなく、その知恵も冷静さも称えられる。馬超諭すの一件はその例。劉備は初めて馬超とであった頃の話、馬超の勇敢ぶりに感服し、劉備は平西将軍の称号を賜ったが、それをいいことに、馬超はますます増長し、劉備への君臣の礼儀を怠って、呼び捨てにまで至る。

 

关羽很生气,张飞却说:“像种情形必用礼来开。”第二天,刘见诸,关羽、张飞拿着武器站立刘边。

 

関羽は怒りを露にして馬超の処刑を出張したと対照的に、張飛はこういう場合なんとか相手を自ら気づかせるのは最もいい方法と勧めた。次の日、将軍会議で、関羽と張飛はおとなしく劉備に付き従っていた。

 

马超一到,只顾入座,但见不到关羽和张飞的座位,但见他们两人侍立一旁,大吃一惊。从此以后,马超才知道要尊敬刘备。

 

馬超が遅れて入ったら、遠慮もなく席に腰をかけたが、関羽と張飛の席もなく静かに劉備の両側に侍ったのを見たら、驚きを禁じえなかった。その件以来上司への尊重を少しずつ覚えるようになった。

 

在汉中攻防战,张飞利用地形优势,以少胜多大胜曹操名将张郃。此一役也展现了张飞的谋略。另外张飞攻破江州后,守城的主将严颜宁死不降,张飞被其感动而将其释放。义释严颜的美谈体现了张飞的仁义。

 

漢中の戦いで、張飛は地形の利を利用し、多数の軍勢を率いる曹操の名将张郃相手に、見事勝利を収めた。張飛の謀略を一瞥エピソードだった。江州攻城戦で敵将の厳顔を生け捕りしたが、その技量と気迫、そして死んでも降伏しない忠誠ぶりに感嘆し、自ら厳顔の縄を解け、厚く持て成すことは後世で美談となり、張飛の仁義を重んじるものと知られた。

 

可见,历史上的张飞虽然有莽撞粗暴的一面,但也有勇有谋,忠心仁义,还有一个好的出身和相貌,实属三国之豪杰。


総じて見ると、史実の張飛は確か乱暴な一面はあるが、本人は名門出身でいい顔立ち、知勇兼備にして忠誠仁義、実に豪傑の称号に相応しい人物である。






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