あなたの知らない三国誌その五中国の歴史・文化

ポケットフジ / 2020-03-21 / Hit数:

曹丕はなぜ父の曹操の陵墓を取り壊した


caocaomudi.jpg


曹操一生有子嗣25人,其中有希望继承王位的是长子曹昂、次子曹丕、三子曹彰、四子曹植、第七子曹冲等几人。

 

曹操には25人の息子がいて、その中で最も有力な跡継ぎ候補者は長男の曹昂、次男の曹丕、三男の曹彰、四男の曹植(七歩詩の典故)と七男の曹沖(象の重さ量りの典故)。

 

曹昂和曹彰擅长武略,有军事才能。曹植和曹冲则聪慧机敏,博学多才,文采非凡。单论个人才干,曹丕最为平庸。因此王位继承人之争最初变数很大。

 

曹昂と曹彰は武略に長け、軍事的な才能の持ち主で、曹植と曹沖は聡明で機敏、文才も並外れている。才能でいえば、曹丕は一番平凡なもの。後継者争いの結果はまったく予測がつかない状態だった。

 

直到曹操去世的前几年,曹丕费尽心机,最终才勉强把世子之位抢到手里,但曹操依然有些三心二意。建安二十四年(219年),关羽北伐中原挑战曹魏,曹操任命曹植为征南将军,意在为曹植拉拢人气和积累威望。

 

しかしながら、曹丕は知恵を絞って、さまざまな手腕を駆使して、曹操が死ぬ何年前までにようやく跡継ぎの約束をしてもらったが、曹操はまだ完全に決心がついていないようだ。建安二十四年(219年)、関羽が魏の領地の中原に侵攻してきた。曹植の人気と人望を高めるために、曹操は曹植を征南将軍に任命した。その一件で曹丕は父への不満を抱いた。

 

曹操生命垂危之际,下令紧急召回留守长安的第二子曹彰。曹操是否又想把王位传给曹彰?万幸的是,长安距离洛阳距离700多里,曹彰虽然日夜兼程,仍然未能见到曹操最后一面,成为曹魏传位之争中一个永久谜团。

 

曹操は臨終の際、急いで長安の留守役の次男曹彰を呼び戻せと命じたが、もしかして王位を曹彰に譲る気と再び曹丕の疑心暗鬼を引き起こした。幸いか不幸か、長安から曹操のいる洛陽までは700里以上、全速で戻ったが、曹操の最後を見届けられなかった。本当は曹操はなんのつもりだったかは永遠に謎に包まれた。

 

儿子拆毁父亲的陵墓,这在古代会被视为大逆不道和大不孝之举,但曹丕在传位之争中,几度遭遇父亲曹操的出尔反尔,一度让他的处境岌岌可危。曹丕因此免不了会对曹操心怀芥蒂,想借机发泄一下对曹操的不满之情。

 

古代では子供が親の陵墓を取り壊すような行為は、論理に背くことで、悪逆無道とされるが、曹丕の場合、約束された地位を何度も反古され、一度は窮地まで追い込まれた。その腹いせに親の墓を壊したのだろう。

 


    我们的征途是星辰大海。以梦为马,不负韶华。




    3