中国の歴史話-第7回中国の歴史・文化

ポケットフジ / 2020-03-23 / Hit数:

吃醋”という典故の由来は?


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唐太宗李世民时期的宰相房玄龄怕老婆的名声,和他的卓越政绩一起成为了千古流传的话题。

 

唐太宗李世民の時代、宰相房玄齢は有能な政治家としてその名を後世に残すと同時に、有名な恐妻家の逸話も世に広がった。

 

有一天早朝已毕,房玄龄却在朝中徘徊不回家。唐太宗很奇怪便询问缘由,他说请皇上下旨令他的夫人不要生气,他才敢回家。

 

ある日、朝の宮廷会議が終わり、房玄齢は宮殿で右往左往して、家に帰ろうとしなかった。唐太宗が不思議に思い、その理由を尋ねたら、「妻が怖いから帰りたくない」と答えられた。

 

太宗听了大吃一惊,没想到房玄龄竟怕老婆到这种程度。唐太宗很为房玄龄抱不平,故意赐给他几个美姬,杀杀他老婆的威风。

 

房玄齢はそこまで妻に頭を上げられないとは知らなかった唐太宗は、憤慨のあまり、わざと彼に数名の美人を贈り、彼の妻の勢いを止めようと図った。

 

房玄龄当然是不敢要的,唐太宗就让皇后出马劝说房玄龄的妻子,自然也是碰了一鼻子的灰。唐太宗大怒,亲自出马赐房夫人鸩酒说:“若同意你丈夫纳我所送的美女便罢,若不同意,那就饮此毒酒,此事绝无商量!”

 

もちろん房玄齢は美人を受け取る勇気はなかった。唐太宗は皇后に、房玄齢の妻と接触させ、説得を試そうとしたが、それも失敗で終わった。激怒した唐太宗は自ら房玄齢の妻に「私の贈った美女を夫に受け取らせよう、さもなければこの毒酒を飲め、それ以外の道はない」と宣言した。

 

只见房夫人二话不说,将浓毒酒接过来,一口饮下,唐太宗看到这种情形,心里大为惊骇,叹道:“此等女子我尚畏之,何况玄龄。

 

あろうことか、房の妻はその話を聞いたとたん、一気に飲み干した。唐太宗にとってこれは初めての経験で、あまりの驚きに「これほどの女を相手に、玄齢はおろか、わたしの手にも負えないな」と感嘆せざるを得なかった。

 

唐太宗拿浓醋去吓唬房玄龄的老婆,没想到却吓着了自己和众人。而将嫉妒说成“吃醋”的典故,就是由此而来。

 

結局、唐太宗が使ったのはただの濃い酢だが、逆効果を招いた。嫉妬を「吃醋(酢を飲む)と呼ぶようになったのはこれが出典だった。

 

 


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